1 初めから結婚が破綻していた両親と子供にだけ愛を注いでくれた母

幼少期の家庭環境と価値観の形成

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小さい頃の私は、
家族のいざこざに
いつも翻弄させられていました。

 

母は父を怒らせる天才でした。

母が発する言葉は
いつも父を怒らせて、
父は怒りに任せて怒鳴り散らしたり、
物を壊したりしていました。

 

父の感情の激しさに、
小さい頃の私は
違う部屋に逃げて
泣くしかありませんでした。

自分の力の弱さを
感じる毎日でした。

 

子供だった私の目から見ても
両親は決して
仲が良さそうには見えませんでした。

夫婦 仲悪い 喧嘩

そんな喧嘩をしてばかりの両親から、
ある時別々に
カミングアウトされます。

 

(母)
お母さんね、

本当はお父さんと結婚したくなかったの

 

お見合いの後に断ったけど、

おばあちゃんが強くて

どうしても断りきれなかったの

 

(父)
お父さんはな、

本当はお母さんとなんか

結婚したくなかったんだ

でも

親から強制的に

結婚させられたんだ

 

「結婚したくなかったこと」以外は
全く気が合わない両親たち…

 

さらに祖父母同士も
お見合い結婚で
仲が悪かったため、

 

私は、物心がつく頃には
恋愛結婚に憧れます。

 

私は

両親みたいな結婚は

絶対にしない。

 

私は好きな人と結婚して

幸せな家庭を作るんだ。

 

お見合い結婚なんか

絶対に嫌だ!

絶対に恋愛結婚するんだ!!!

 

さらに、
なかなか男の子が生まれなくて

歳の離れた弟が生まれるまで
母が周りから
そういう批判を受けていたのを知っていたので、

男の子は?と言われる母

自分で選べない性別まで

周囲からとやかく言われる所に

お嫁に行くのも絶対に嫌だと思いました。

 


母が誰かと対立すると

いつも他の家族が母を批判して、

 

母が主張を言えない状況に

なっていたのを見ていたので

 

義両親との同居も嫌だと思っていました。

孤立する嫁

お金に対して嫌悪感を持つようになったこと、お金のことをいうのはいやらしい…という価値観

 

羽振りの良い祖母と

ド倹約家の母は価値観が合わず、

よく意見がぶつかっていました。

 

 

特にお金の話になると言い争いは絶えず、

いつも戦々恐々としていました。

母祖母言い争い

母は来る日も来る日も

祖母の悪口を言っていました。

 

欲が深くて恩義せがましいこと、

贅沢をしていること…

 

自営業で、祖母が裏で事業を広げた

と言っても過言ではない状況でしたが、

クリーンでない部分もあって

曲がったことが許せない母は

いつも人格ごと全否定していました。

 

 

祖母は出かけたり

人にものをあげて喜ばれるのが好きで

旅行先でお土産を買ってきてくれましたが

母にとっては贅沢で苦々しいことでした。

 

母からは、

お金やモノを欲しがることが

いかにイヤラシイことかよく聞かされていました。

 

 

私は母に幻滅されたくなかったのか、

小さい頃にはあったはずの物欲も

自然とうすれていき、

誕生日やクリスマスでも

何かが欲しいと思うことはなくなりました。

 

家族仲が悪かったので、

常に誰かの悪口を聞かされていて

大人の顔色を伺いながら過ごす幼少期でした。

顔色見る

そんな中で、夫婦の愛情があって

支えあいながら生活する家族像に憧れていました。

子供がいることだけが幸せだと言っていた母の価値観

 

母は私には

たくさんの愛情を注いでくれて

(母)

子供は絶対に産んだほうがいい

子供がいることだけが私の幸せ

とよく言っていました。

 

(母)

離婚しないのも

ご飯を作るのも、あなたがいるから。

自分の子供ほど大切なものはないのよ

とも言っていました。

 

小さい頃から

母の価値観をきいていたので

子供がいることが女の人の幸せ

と信じて疑いませんでした。

新生児の赤ちゃんの写真

大きくなったら

好きな人と結婚をして

たくさんの子供たちに囲まれて幸せになりたい、

と漠然と思っていました。

子沢山が憧れでした

社交的でない母は

遠くからお嫁に来て友達もいなかったので

子供だけが自分の味方で

「自分の分身だ」とよく言っていました。

 

かなり過干渉で心配症だったと思います。

 

 

赤ちゃんの時は

父が手を洗わずに私を抱っこするので

私のことを隔離していたそうです。

触らないで

 

保育園のいじめっ子にいじめられて

怪我をした時には

すぐに転園させてくれました。

 

小学校に入って

友達の家に遊びに行きたい、と言ったら

 

道路に出るのは危ないから

お友達に来てもらいなさい、と言われていて

(お友達からしたら超失礼な話ですが、
 当時は友達が離れていく理由が
 わかりませんでした。)

 

地元でも学校までの道以外は

ほぼ歩いたことがありませんでした。

(小学校までの道は車の通らない道でした。)

 

放課後は友達と遊ばずに、

すぐ帰って来なさい、と言われていたので

私だけ真っ直ぐ家に帰っていました。

ランドセル

 

お料理を手伝いたがって

包丁を触りがった時の

引きつった顔の母がとても印象に残っています。

引きつった顔

私を大事に育ててくれた

過保護で過干渉な母のことも

小さい頃の私にとっては、それが常識でした。

 

しかし子供会の運動会の時に、

カレーがついているお鍋の蓋を

下に向けて置いてしまった時に

 

他のお母さんから

(他のお母さん)

一人っ子だから、

家でなんでもやってもらっているのね。

と、言われて

自分は一人では何にもできないんだ…

と恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。

恥ずかしい

 

私は年の離れた弟が生まれるまで

身の回りのことを

ほとんどお母さんにやってもらっていました。

 

その日に着る服は

お母さんが選んで出しておいてくれました。

 

母は小さい頃、家が忙しすぎて

親に構ってもらえなかったのが寂しかったそうです。

 

子供ができたらなんでもしてあげたい、

というのが母の希望でした。

 

幼少期の私は母に依存していて

自分の身の回りのことは何1つ出来なくて、

クラスの子達が話している

セーラームーンや

ドラゴンボールも知らずに

 

ただ母の言う通りに

学校からまっすぐ帰って

勉強やピアノをするだけのつまらない子供でした。

 

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